サッカー知らない人が手のひらを返しまくった末に知った楽しみ方の話
Twitterは自分でタイムラインを作りますので、ある程度は自分の興味と似通った人たちの会話が流れることになります。そんな中でも、昨夜はほとんどサッカーに関する話題一色のタイムラインとなりました。更に「色々と議論を呼ぶ試合内容」だったそうで、まともに試合を見ていない僕も何か言いたくなってしまう程でした。
今回、本当に「サッカー(スポーツ)の観戦の仕方」を全然知らなかった…… こういう考え・見方があるんだな、というのを短時間で色々と学べましたので、まとめてみたいと思います。
あくまで「サッカーのハンドならギリ分かる」レベルの無知な人間が、昨日のタイムラインに突然参加したという段階から始まる、ということを念頭にお読みください。オフサイド?いまだにわかってません。
★この記事では私のツイートを引用しますが、ものすごい勢いでテノヒラがくるくる回ります。ご気分を害される恐れがありますので、あらかじめご了承ください。
続きを読む選択肢と生きる事
24日の朝、友人がこの世を去った。30代だった。高校時代の同窓生だ。
◆思考のはじまり
mastodon.cloud の中でこんな話題が出ていた。
「どこからを意識と捉えるべきか?」
その話題をつぶやいていた人物は、例えばイルカだとかの知性が高いとされる動物の扱いに対する議論へ考察をしている様子だった。
知性が高い… 心がある、といった視点から無闇な殺害はやめるべきだという議論について彼は考えていて、そこから逆説的に「ならば心がないとされた対象へは何をしても良いという話に拍車がかかり危険ではないか」と思考を巡らせていた。
どこからが”意識を持っている”ことになるのか。それは哲学的な問題か?科学的な話なのか?
見えない所のことを考えても先に進めない。僕はせっかくいま化学という分野で働いているのだから、僕なりにそこから考えてみようかと思った。
続きを読む半径一歩の行く先に(「できない」ことを考える)
人にはその時「できない」ことがある。
100メートルを9.58秒以上の速度で走る事は、恐らくウサイン・ボルト以外にできない。500ミリリットルのペットボトルに1リットルの水は入れられない。棍棒で何度も何度も頭を思い切り殴られて死なないこともできない。大体50時間以上は起きていられないし、コンロの火に手を当て続けて火傷をしないというのもできない。
同じようにして、僕は今から次の一歩を進むまで半径一歩の範囲までしか移動できない。そうして当たり前に、人には「できない」ことというものがある。
当たり前すぎて、誰にでもわかる。でも、当たり前かもしれないことに案外気付けていなかったりもする。それは僕もそうだし、これを読んでいる人もそうだし、ウサイン・ボルトだってそうなのだ。
そのようにして「できない」ことを責める人はいるだろうか?ウサイン・ボルトより早く走れないことに対して、日常の生活の中で責める必要のある場面というのは考えられない。誰だってわかる。
だけど「そうしたことに対して怒って/責めてしまう人」というのがいる。
それは僕かもしれないし、アナタかもしれない。または、Twitterでおかしな怒り方をしている人かもしれない。でも、誰でもそういうことをしてしまう恐れがある。
「どうしてお前は100メートル9.58秒以上の速度で走らないんだ!」
と叱ることが、僕にも、アナタにもあるかもしれないという話。
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