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「クラブ」で「踊る」ってどう思う?(「和まない」参加ログ)

インターネットが無かったら、僕にとっては「縁が広がらない人生」が待っていた様に思う。知り合いの数という意味では、それほど差は無かったのかもしれないけれど、生きていると「自分はまず関わることのないであろう世界」というものが、誰にでも少しずつ出来てくるんじゃあないだろうか。

例えば「クラブ」(今、そういう表現でいいの?ディスコ?ダンスフロア?)といったものが、僕にとってはそういうもののひとつだったのだ。

先日「和まない」というイベントに参加してきましたので、そこで体験したことをひとつまみ、思い切りポジショントーク(誤用)で紹介して参りたく思います。

イベント詳細:

nagomix.co.jp

◆知らない世界の人達と 

SNSというのは、流行り廃りの度に似たような流れを取っている。技術的な畑にいる初手の人達が少な目にいて、どこかで火が付きあらゆるジャンルの人達が押し寄せ参加する。そのうち紆余曲折あって「それぞれ自分が関わり合う人達同志で周囲を固め合う」ようになって、PCすら普段触らないような層が入れる土壌ができ一般化する。

ほとんどの人にとっては「SNSでわざわざ見たくないものは見ない」というのが正直なところであって、結果的にどこへ行っても似たような界隈を見続けることになるのが、おおよその流れなんじゃないだろうか。

僕の話をしてみれば、10年近く続けているTwitterやや意識してフラットに周囲を整えるようにしていた。主義主張が異なると思っても、受けたフォローは(それが人間であれば)返して、それ以外のことはしない、というスタンスを続けた。

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※自分からフォローするというのは極めて珍しかった

Mastodonが流行った時もその流れは続けていて、個人の感覚としては、ミニブログ形式のリアルタイム性が強いSNSを始めてから明らかに「今までではまず関わらなかったであろう人達と知り合うようになった」傾向にある。

……で、僕がクラブに行くという事になった訳です。

年齢も趣味も、今までの「リアルの場にいる僕」ではまず関わり合いになることのなさそうな所から今回のイベントに来てみてくれと声を掛けて頂いた。人間だけにとどまらず、そうした場すら僕にとっては未知の世界である。

まずはじめにこの場をお借りして、お声がけを頂いてありがとうございました。これは本当に、そう思います。

◆ライブハウスに入ってみたのだ

世に言う真面目君みたいなのを想像してみて欲しい。中学の学ランはホックまで留めてて、ナンパなんぞ以ての外、クラブなんて恐ろしい奴等が集う闇の集会だと思い込んでいるようなヤツ。つまりそれが僕です。そういう人がこういう所にくるとどうなるんだろうか。行かないんで分からないんだな。

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※闇の集会イメージ(https://www.pakutaso.com

まず入場すると既にはじまっており、腹を揺さぶる低音がズンズンと響く。開始からさほど時間が経っていないためか、ちらほら見える参加者は壁際で立ったまま曲を聴いているように見えた。一番前で数名が曲に合わせて体を揺らしている。

率直に思うのは <やべぇ… 気まずい> ということ。

知り合いがそんなに居る訳でもなし、だいたい知らない曲だし、場の中央付近が空いてるから行きにくいし、かといって端っこで黙ってるのもなんだかやり場がないし。突っ立っててもしょうがないのに、突っ立ってるしかない。しかしそれは誘ってもらった手前ツマラナソーになんかしたくないという思いもあって、もどかしい。

そういうのが色々と混ざって <やべぇ… 気まずい>

ひとまずジュースを1杯飲んで、上着や荷物を置いて、身軽にしてから考えた。これはキツイと。誤解無く言えば、イベントに対する不満ではなく、僕自身の無知による不慣れである。何をしたらいいのかわからない。大して音楽も詳しくないし、人に音楽が好きだと言える程のものでもない。

何度か会っている、これまたSNSで知り合った人物が最前列で身体を揺らしていたので、胸を借りる事にした。ドリンクをグッと飲み切り、身体を滑り込ませて最前列にいる彼の隣まで歩み出た。

◆踊るってなんだ?

曲に合わせてウンウン頷いているような動きをしながら、あくまでツマンナソーにしない感じにしていたが、それ以上はどうすることもできなかった。

正直、その知り合いの彼は別の知り合い?も居たようで、どちらにしても依然アウェーである。ぶっちゃけ彼がその別の知り合い?とタバコ休憩に行ったタイミングなんかは、俺一人が最前線にいるというかなり苦しい時間も存在した。

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※気マズイ顔で踊ろう

マ、マズイ…! 一人になったからってスゴスゴと退散するのも何か変だし、かといって直立不動になる訳にもいかない!! ここは「別に激しくしたい訳じゃないが俺は音楽を楽しんでいるんだぜ感を出し続けるんだ!!」と自分に言い聞かせて身体を揺らしていた。

俺は何しにここへ来たんだっけと思いながら、最前線で揺れていると、見知らぬ男性がけっこうノリノリで色んな方向へ身体の向きを変えながら踊り始めた。

(……いやぁ、楽しんでいるなあ。こういう場に慣れているんだろうか)

そう思った時、自分が男性について「楽しんでいる」と素直に思った事を不思議に感じた。その男性を「変だ」などとは考えなかったのだ。踊りが上手いとか下手だとか、そういうことに目を向けた訳ではなかった。そもそもその人が場に慣れているかなんて知った事ではなかった。

その人は今その瞬間、音楽に合わせて身体を動かすことを楽しんでいる。そのように見えただけなのだ。少なくとも僕はそうとしか思わなかった。だから僕はその男性を見た時に気が付いた。

ああ、誰も「僕が音楽に合わせて楽しむことを変だなんて思う訳がないんだ」と。

僕が踊ったから、何なのか。誰かに見せるつもりだったのか?音楽に合わせて盛り上がるという場を作る人がいて、僕はそれに誘われた訳であるのだから、僕はそれをすれば良いだけなのだ、僕なりの方法で。そう思った時、気が楽になった。他人の視点を気にする自分がいなくなった。

◆音楽に合わせて身体を動かすことは楽しい

思い出していたのは「カラオケが好きだな」と思うようになった頃のことだった。確かにある時期まで僕は「カラオケは参加してもいいが歌わない」と言っていた。明確には覚えていないが、割と突然カラオケが好きになった気がする。自分が歌うようになってからは、他人の目など気にして歌った事はなかった。上手いとか下手とかじゃなく、自分が気持ちよく歌えるかどうかが、カラオケの全てであった。

他人の目を気にする人も、気にしない人も、どちらにしても以下のことは同意してもらえると思う。

思い切り声を出して歌うこと自体は楽しい

非常にシンプルな話だ。会社関係のカラオケだからとか、上手く声を出せないからとか、それぞれの理由は色々あるにせよ、シンプルに問題を取っ払った上で「思い切り歌うこと」ができるなら、それは楽しいだろう。間違いない。問題はそれを容易にできない人もいると言うだけで。

どこだったかは忘れたが、僕は確かにいつかのカラオケで吹っ切れて「思い切り歌ってみた」のだ。その時、一緒にいる人とか関係なしに「思い切り歌うって楽しいんだな、これでいいのか別に」と思えた。

ああ、これと一緒だと思った。

音楽に合わせて身体を動かすことは楽しい

これは間違いない。ドラムをやっていたし、音ゲーをやっていたのもあるから、そこらへんに違和感はなかった。ただなんかちょっと恥ずかしかっただけなのだ。踊る技術が有る訳でもないし。

だから、DJの人が切り替わったあたりから、僕は僕なりに結構身体を動かしてそのイベントを楽しみ始めた。

◆クラブで踊るってカラオケで歌うのと同じ?

極めて個人的な上記までの体験から、僕は強引にクラブとカラオケを一緒くたにしてしまったけれど、物事に飛び込むときというのは案外どれも同じなのかもしれない。その場が求めている最もシンプルな面白さに対しては、他人の目など何も関係がないのだ。

カラオケなら歌うこと。クラブなら踊ること。

それに対して「最初の壁」を超える事ができたのならば、後は楽しい時間が待っているだけだ。それも全て自分の問題だから、自分を推進力にして自分を進めるしかない。色んな縁と後押しは頂いて、最後の大事な一歩さえ踏み出せば、何も怖いことはないはずなのだ。(本当に闇の集会じゃない限りね)

更に楽しみを見出したければ、自分の技術を磨けばいい。歌がうまくなればもっと気持ちよく歌えるし、踊りの仕方を学べばたぶん僕ももっと激しく(かつ安全に)フロアを楽しめるようになるのだろう。

たぶん次からは、あまり周りを気にしないで、好きな曲やノれる曲がかかったら、遠慮なく身体を動かして楽しめると思う。気が付けば、クラブというのは「僕にとって縁のない世界」ではなく、純粋に何かを楽しむ場の一つという、他の趣味と何ら変わらない要素を持った世界になっていた

こうして新しい何かを知ることが出来たのも、イベントに誘って頂いたお陰です。重ねてのことではあるけども、本当にありがとうございました。短い時間しか居られなかったけれど、ひとつ世界が広がりました。感謝申し上げます。

感謝とともに、もうひとつだけ。

◆「声を掛ける」こと

今回のイベントについては、ガッツリ誘われていた訳ではなかった。ただ、SNSで縁する人がそれなりに来るかもという状況があって「良かったら来てよ」と一言伝えられていただけに過ぎない。

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※声はかけたからな!

それも、SNSでもそんなに絡んでいた訳ではなかったりするし、年齢も趣味もだいぶ違う方向からだったので、そもそも誘われたこと自体が驚きだった。

とは言え… 当日までの一定期間「日程を取ろう」とは少なくとも考えるようになった。前日に声を掛けられただけでは恐らく行けなかっただろうと思う。声を掛けておくこと…… というのは大切なことだと感じる

あらゆる物事の成否の半分は、準備で既に決定している。といったような言葉もある。だから、声を掛けるというのは大切な準備のひとつであることは、間違いないだろう。

インターネットによって、まず関わることのないであろう世界から「声がかかる」ようになった。そのすべては受け止めきれないけれども、少なくとも自分の中では「縁の広がる人生」になっていっているような気がする。

また様々、この濁流のようなクソインターネットの中で、皆様にはお世話になりますが、どうぞよろしくしやがってくださりませ。長文へのお付き合い、ありがとうございました。