Goldensteps

個人ブログです 意義はないです

TRPG「インスマスからの脱出」をやりはじめた

TRPGに誘われたので、初挑戦しました。

進んだところまで、気合で小説っぽく書きます。飽きたらやめる。

1-1.Virtue

 アール・ヌーヴォーの名残を垂らしたかのようにしてぽつりと生えた街灯の足元を、乾いた風が破れた新聞紙と共に走り抜ける。直線的建築群へと急速的に移行しつつある激動の最中にあって、彼だけが置いてけぼりの目にあわされたかのようだ。それは経済の優先順位の物語のようでもあり、昼間における役割の無さが "しょげた” 肩の落とし姿を思わせる。わざわざ輸入された曲線の美しさは、アメリカの進撃の中では浮いた存在であるかのようだった。

 砂の舞うイーストハイドストリート。忙しさの象徴であるかのように右往左往する革靴たちこそが、道の埃をあっちへこっちへと躍らせているのかもしれない。ぼやけた白の汚れを付けた紳士のスラックスを通して、陽光こぼれる独立記念公園の眩しさが映えた。自分たちのハイ・ヒールに気を付けながら、白いタイツが輝くことにひとつひとつ歓喜を散りばめて、若い婦人たちがそぞろ歩くとき、公園を背景としたストリートの直線はパリのランウェイのようにして煌めいた。

 小さな美術館から降車するようにして伸ばされた足が通りを踏むと、彼女たちは振り向いて雀のように囁きあった。アシュリー・ベネディクトは鑑賞の満足をその長身の芯にでもしまい込んだかのようにして、しなやかさの代表とでも言うが如く身体をひねり、記念公園からの後光を背にした。美を鑑賞する者が、それ以上の美ではならぬ法はない。アール・デコに置いて行かれた違和感の街灯には誰も気づけぬ程、小さな通りのメイン・モチーフとして彼は自然と存在するのであった。

 美徳は行動と結果によってもたらされる一種の気難しい人物のようなもので、かいがいしく手入れを施された素肌がその説得力を持つように、原因と結果を厳しく貫いた先に現れるものである。しかしながら、美徳がそれ自体をして美徳であるとすることがあるならば、まさしくそれは太陽の如し…… 存在が先か、役割が先なのか、誰もがその答えを求められないでいるというのに、絶対的に実用的な"美"として振る舞う様が実現していた。それが一人の青年としての姿であり、まさしくアーカムが誇るベネディクト家の末弟なのだった。

 アシュリーは興味の矛先を惜しげもなく向けることに余念がない。目下、彼の数年は絵画への傾倒が甚だしかった。自身 "が" 向ける矛先には楽しさしかないのだと言わんばかりのように。彼は溌溂とした行動力を持て余すこともなく燃焼できるだけの情熱を持っていたが、自分 "に" 向けられた矛先を受け止める算段は毛頭ほども用意する気がないのであった。

 好奇心は楽しさの旅だとするならば、同じ位置に掲げられ続ける絵画に立ち止まっては居られない。そうして彼は、珍奇な荷物の集配所であるところの探偵事務所へ立ち入るようになった。輝きがコントラストの仕事であるならば、人間の発する暗さに並んで佇むことこそが、美にとっての調味料となる。アシュリーの "自覚" は徹底的であり、沈んだ「美しき人」の瞳を着実に奪う場としては、こここそが最もふさわしいものであることを見抜いていた。

 気まぐれと楽しみを混ぜこぜにした心持ちで、彼はそのまま事務所へ足を向けた。絵画の鑑賞と "相談者の鑑賞" は彼にとっての不規則な日課ともいうべきものとなっている。彼は人のためには働かない。矛先はいつも自分が向けるものなのだ。