Goldensteps

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「インスマスからの脱出」リプレイ002

APP18を引いたアシュリー・ベネディクト(ありす氏)を表現しようとしたら1ページ終わった前回。話はまだ開始時点にすら到達していない。スーパーイケメン青年は探偵事務所へ向かう!事件!起こってない!!明日はどっちだ!!!

つづき↓

 1-2. Who shall separate us now?

 上昇と界面の衝突が対流を作る。肥大した水蒸気の脱出はこれを加速する。棒状に成形されたグルテンが熱によってナトリウムイオンとの結合を促進される。炎から離れた深い灼熱が滝のように放たれ、罠にかかる魚と同じく金網の餌食となる。休む暇もないままに、今度は直射の熱に晒され、鉄板の舞台を踊らされる奴隷を演じなければならない。

 事務所へ踏み込むと、茹で上がりの香りに包まれた薄暗い空間が広がる。荒々しくフライパンを揺らす音だけが響いて、無骨な印象を演出していた。アシュリーがやってきたことへ誰も気が付かないのか、気に留めないのか、その場にいる人物たちは思い思いにくつろいだまま、ただ炊事の成り行きを環境音としているかのようだった。

 突然、泡が激しく弾けたような音と共にトマトと肉の香りが一帯を包んだ。手早く処理されたソースに絡みついて、晴れてミートボール・スパゲティは完成の日の目を見る。我らがシェフは頭を振ってあちこち視線を移すが、困ったような顔をしたまま予熱の心配を解決できずにいるようだ。

 「ルーチョ! もうできたか? ミートボールだよな!」

 奥のドアを開けながら、乱雑に跳ね上がったままの白髪をはためかせつつ男が叫んで出てきた。食欲にしか興味がない…… そのものの姿は年齢の錯誤を思わせる。

 「……皿がねえんだよ。ちょっと探してくれ」

 ルーチョと呼ばれた男は、かけすぎた予熱を完全に諦めて言葉を返す。皆にサービスするための食器が見当たらずに困っていたのだ。面倒そうにして、とりあえずの保護策としてフライパンを揺すってみる。白髪の男が慌てて答える。

 「上の棚にあるだろ? まあ待て、俺が取ってやるから…… やあ、アシュリーじゃないか。ここの所、毎日だな? 丁度パスタが出来たところだから、食っていったらどうだね」

 「お前が作ったんじゃねえだろ」

 怫然とした口調でルーチョがつぶやくが、アシュリーは聞こえなかったかのようにおどけてみせる。

 「やあ、ドク。いい香りだね、頂こうかな」

 「そうするといい。このナプキンを使え…… お前さんの優雅な服が汚れちまわないようにな! さあ、さあ! お前達、その紙とペンをさっさとどけるんだ」

 ソファに座って何やら難しい顔をしていた二人の男が抗議の声を上げる。散らばった記事達を白髪の老人が強引に押しのけてしまったからだ。にわかに騒ぎとなったダイニングテーブルを挟んでアシュリーが叫ぶ。

 「ドク、ドク! 慌てないでよ。セドリックとドレイクは何か仕事をしてたんじゃないのかい」

 「まったくその通りだ! これだからオッサンは手に負えないんだ」

 開いた両手を顔の横で掲げて見せて、ドレイクは全身で抵抗の意思を示す。首に提げたカメラが彼の胸の前で揺れている。耳に挟んだタバコを取り出し、いらついた様子で火を付けながらドクをにらむ。短く刈り上げられた黒髪に、大きな瞳が鋭く走っていた。逞しく発達した腕を薄汚れたシャツが覆っていて、野生の感じを醸し出している。落ちた記事を拾おうともしないが、吸った煙で幾ばくかの平静を得たようだ。

 「何か進展があった訳じゃないし…… お腹もすいたから食べようよ」

 静かにそう言うと、セドリックは立ち上がってよろよろとキッチンへ向かい皿を受け取った。ようやくか、といった顔をしてルーチョはフライパンをひっくり返す。しわくちゃになったセドリックのジャケットにソースが跳ねるが、彼は気にする様子もないまま運び入れた。心ここにあらずといったため息を吐いて椅子に腰かける。訪れた食欲も、視界にある真っ白の原稿という現実に邪魔されて、彼の心を晴らすことはないのだ。

 「さあ、さあ、座れ。暗い顔で食ってもうまくはないぞ」

 ドクが急かすと、部屋の隅から凄みの効いた声が飛んだ。

 「少しは静かにやれねえのか、ジジイ。食い意地ばっかり張りやがってよ」

 人数分のフォークを取り出しながら、悪態の青年が立ち上がった。漆黒のボーラー・ハットの下に、窪んだ眼が落ち込んでいて、肩から掛かるサスペンダーには愛用のナイフが提げられている。キラリと反射する光が目に入れば、一層の凄みとして共鳴するものだから、ドクは驚いて縮こまってしまった。

 「悪かった、悪かった…… ジャック、落ち着いてくれ。静かにするから」

 青年ジャックは不機嫌さを演技的に継続しながら鼻を鳴らした。しかし、彼は手早くパスタを取り分けて食器を配分してしまう。改めて、事務所は食欲の雰囲気に彩られることとなった。

 「兄貴も、先に食べちまってくださいよ」

 丁寧に体をルーチョへ向けて、一際抑えた声でジャックが促した。小さく頷いて席につくと、自身の作ったパスタの加熱に大きな失敗がないことを確認する。ルーチョはそのまま無造作に食べ始める。それを合図にしたかのようにして、全員が一斉に食事を開始した。

 良質な味は静寂を呼び起こす。皆が口に運ぶ姿を見まわしてアシュリーは似たような構図の油絵をいくつか思い出していた。先ほどまで鑑賞していた絵画のような上品さを持つ人物は──彼を除いて──存在している訳ではなかったが、彼は不思議な美意識を感じ取った。生活の力強さには説得力が発生し、それはそのままの画として意味を含むこととなる。一瞬の静寂はそれをして意味を持たせるものではないが、先ほどまでの喧騒との対比に、時間という次元を加えた芸術性を見出したのかもしれない。

 とにかくこれほど共通項の見当たらない男達が、一心不乱にミートボール・スパゲティを貪る光景に、アシュリーはここしばらくの過去を思い起こさずにはいられなかった。不思議と集まる結果と、このケネス・ヒース探偵事務所という舞台と、日ごと彼の感性に訴えかけるのは、何らかの物語が始まる予感といった類のものだったのだ。